期間限定 LIMITED-TIME COLUMN

『揺れる楽園』を観たあなたへ

クレーンから見下ろすフェスティバル会場

誰もが気軽に映像を撮れるようになったのは、いつ頃からだろうか。あなたはすぐに答えられるだろうか。

2010年がターニングポイントだと言われている。この年に発売されたiPhone 4は、背面カメラのビデオ撮影がHD画質(720p)に対応し、初めて前面カメラを搭載して「自撮り」を可能にした。2005年に生まれたYouTubeも、この頃には誰もがスマホから動画を投稿できる場所になっていた。今からおおよそ16年前のことである。

16年前。これを最近だと思うか、遠い昔の出来事と感じるかは、あなたの年齢と感覚によるだろう。しかし確かなことがひとつある。誰もが高画質のカメラを持ち歩き、事故や災害の決定的な瞬間を記録できるようになったのは、人類史上初めてなのだ。

誰もが映像を残せる。これは基本的に、よいことだ。学生生活の些細な日常を撮ってTikTokやYouTubeに上げれば、その記録はサーバーが生きている限り、淡い思い出とともにパッケージされ、アーカイブされる。「基本的に」と書いたのは、映像が、撮った者の意図に反して暴力として働くことがあるからだ。デジタルタトゥーとなって不本意な姿のままネットをさまよい続ける危険を、映像はつねに孕んでいる。

あなたは、いま思い立てば「映画」を撮ることもできる。スマホで友達とのやりとり、キャンパスの風景、いつも通る商店街、行きつけの店。それらを撮影して編集すれば、たとえ3分の動画でも、それはれっきとした記録映画であり、ドキュメンタリーである。20年後、40歳になったあなたが見返したとき、その作品の価値を痛感するはずだ。

アメリカン・スポーツダイナーで働くサチ

『揺れる楽園』は、生成AI動画アプリ「Sora」が出力した10秒、15秒の動画をつなぎ合わせて作られた映画である。とうとう、映像を作るのにカメラもレンズも必要なくなった。1895年、リュミエール兄弟が工場から出てくる労働者たちを撮って以来、映像とは、レンズの前に実在したものの痕跡だった。130年続いたその前提が、いま崩れようとしている。

これは映像史における大きな転換である。しかし、あなたが当たり前にiPhoneのカメラを使うように、AIによる映像もありふれたものとなる。実写では表現できなかった映像作品が生まれる一方で、フェイク動画も量産される。あなたがこれから生きるのは、「見た」が「事実」を保証しない世界である。

だから、目を鍛えるしかない。最良の訓練は、AIの映像を自分の目でたくさん観ること。そして、できれば自分の手で作ってみることだ。仕組みと手触りを知っている人間は、そう簡単には騙されない。『揺れる楽園』を観ることは、その最初の一歩になる。

AI生成映像特有の質感を持つクローズアップ

いま観た映像を思い出してほしい。観ているあいだ、どこか落ち着かない感覚はなかっただろうか。ものの輪郭がふいに溶け、時間が奇妙に伸び縮みする。現実の法則から半歩だけずれた、あの質感。AIの映像は、いまはまだ、かすかに揺れている。だがこの揺れは、フィルムの粒子やVHSのノイズがそうであったように、やがて「2026年の質感」として振り返られる時代の刻印になる。『揺れる楽園』は、AIがまだ夢を見ることを覚えたばかりの時代、その最初期の夢を記録した作品でもある。

自由音楽祭、円陣を組む人々

この映画は、巨大なスタジオではなく、たった二人の手で作られた。共同監督の飯田和敏はゲーム開発者であり、あなたの大学の教員でもある。つまり、こういうことだ。作ろうと思えば、あなたにも作れる。

このサイトには、予告編、場面写真、サウンドトラック、そして寄り道のためのゲームまで置いてある。好きなだけ歩き回ってほしい。

最後に、冒頭の問いに戻ろう。誰もが映像を撮れるようになったのは、いつからか——2010年。では、誰もが映画を作れるようになったのは、いつからか。20年後の学生がそう問われたとき、答えは「2026年」になっているかもしれない。あなたはいま、その現場に立ち会っている。

夕暮れの柴犬
『揺れる楽園』共同監督
上村朔之介
2026年7月13日